「ありがとう」と言う
アルゼンチンのマテ茶の回し飲みで、注いでもらうたびに「グラシアス(ありがとう)」と言う。
- なぜ — 食べ方が別の合図になる
- マテの輪では、注ぎ役(セバドール)に「ありがとう」と言うのは「もう十分なので次から回さないで」という終了の合図になる。礼儀のつもりで一口ごとに言うと、一杯目で輪から外されてしまう。
- やってしまったら・言いかえ
- 「グラシアス」は、もう飲まないときに一度だけ言う。ボンビージャ(金属ストロー)でかき混ぜず、飲み終えたら次の人ではなく注ぎ役に返す。
知らないとやってしまう
理由を知らないと避けようがない世界のマナー・タブーを、行いごとに並べました。名前を押すと理由と出典が読めます。
同じ行いでも、国によって理由や強さは違います。押すとその国での理由に飛べます。
いまのところ 1 か所だけで確かめられているもの。ほかの国にもあるかは、これから調べます。
初見殺し度がいちばん高く、慣習として実在することを出典で確かめたものから。
アルゼンチンのマテ茶の回し飲みで、注いでもらうたびに「グラシアス(ありがとう)」と言う。
浄土真宗の葬儀や弔電で、お悔やみの定型句として「ご冥福をお祈りします」と言う・書く。
劇場の中(楽屋・客席・稽古場を含む)で、上演中の演目でもないのに「マクベス」という題名を口にする。
中国の若い世代とのチャット(WeChat など)で、親しみを込めたつもりで🙂(微笑)の絵文字を送る。
スペイン語圏やギリシャで、13日の火曜日(martes 13 / Τρίτη και 13)に結婚・引っ越し・契約・出発などの日取りを決める。
ブラジルやトルコで、親指と人差し指で輪を作る「OK サイン」を出す。
マナーのまとめ記事の定番でも、出典をたどると由来が後付けだったり、強さが誇張されていたりするもの。
弔いの場でだけする動作を、ふだんの場でしてしまう。子どもや外から来た人は、そもそも葬式の所作を見たことがないので、理由を推測しようがありません。
物や数字や言葉が、別の縁起の悪い言葉と同じ音になる。音で決まるので、その言語を知らない人には見当もつきません。
ある文化では葬式や喪にだけ使う花・色・品物を、お祝いや手土産に選んでしまう。
切る・分ける・逃げる・別れるを連想させる物や行いが、関係の終わりを意味してしまう。
それ自体は無害なのに、昔から「悪いことが起きる」と言われている行い。信じている度合いは人と場で大きく違います。
頭・敷居・王の肖像・土俵・聖典など、その文化で特別な場所や物を、そうと知らずに踏んだり触れたりしてしまう。
左手や足の裏など、その文化で不浄とされる体の部分を、人や食べ物や大切な物に向けてしまう。
自分の国では良い意味のしぐさや記号が、別の場所では侮辱や別の合図になる。
器の持ち方、完食、お礼の言葉など、食べ方そのものが「足りない」「もう要らない」などの合図として読まれる。
グラスの合わせ方、目線、飲む向きなど、乾杯のしかたに決まりがある。
座る位置・渡し方・呼び方などで、目上と目下の区別をつけることが求められる。
招く側と招かれる側の役割に決まりがあり、好意のつもりの行いが相手の役目を奪ったり、負担をかけたりする。
上のどの型にも入らない理由のもの。